私はヒネクレモノです。。。
集合写真を撮る時、目立ちたがりやさんは人を押しのけて前へ出ますが、後ろのほうに一人ぽつんと離れて写っている、そんなタイプの人間です。
なので、世の中の多くの人がテンションを上げて喜んでいる物事には「ホントにそれでいいの?」と異論を唱えたくなるのです。
そのおかげで冷たい視線を浴びることもありますが、こういう性分なもので・・・。
さて、「うつくしき」読者の皆さんは、どんなものに美を感じますか?
何が美しくて、何が醜いかを判断する基準は、幼い頃から受けてきた教育や、世の「常識」に大きく左右されるのではないでしょうか?
たとえば私は、スギ・ヒノキばかりの人工林の弊害について知識を持ち合わせていなかった頃には、整然とした緑の山々を美しい景色と思って眺めていました。
ですが、「生物多様性」の大切さに気づいてからは、単一の植物に埋め尽くされた「不自然な風景」にしか見えなくなりました。
いまや、自然本来の姿がどういうものかを見失ってしまった私たちは、元々のかたちと大きくかけ離れたものに美を感じるようになっているのではないでしょうか?
化学調味料の味に舌を慣らされたのと同じように・・・。
4月になり、花見シーズンの到来ですね。
平和に楽しく花を愛でている方々には申し訳ないですが、一言物申させていただきます。
日本各地に咲き乱れている桜の多くが「ソメイヨシノ」という品種であることは皆さんよくご存知でしょう。
そして 、江戸末期から明治初期に生み出された園芸品種であるということも。
1本の樹が150年ほどの間に挿し木、接ぎ木によって増やされ、至るところに植えられたのです。
つまり、ソメイヨシノはクローンなのですが、これほどまでにクローン植物を増殖させた人間の行為に、私は薄気味悪さを感じてしまうのです。
「○○桜を守り育てる会」というのが各地にあり、懸命な活動を行っておられるのですが、その桜の多くがソメイヨシノです。
自然を愛し、花鳥風月を友とするのは大変けっこうなことですが、「自分のしていることはホントにこれでいいのか?」と考えてみてください。
クローン生物を守ることにどんな意味があるのか?
育て増やすことがどんな結果を招くのか?
「真に自然を愛する」ならば、自分は何をしなければならないか?
自分にできることは何か?
桜と同様に、多くの「園芸品種」は人間の勝手な好みで、本来の姿とは異なった不自然なものになっています。
植物の持つ本当の美しさとは・・・?
春爛漫に咲き誇る花々を眺めて、こんなことも少し考えてみていただければ幸いです。
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