とあるイベントで「焚き火」を担当させていただいた。
日中はまだ陽がさすと暖かいとはいうものの、夕方にかけて冷え込むため、庭で暖をとり、お湯をわかしたり、豚汁やカレーを作ったりと・・・。
火があるところには自然と人が集まり、ワイワイガヤガヤと楽しく話が弾むものだ。
そんな中で話題はやはり焚き火のことで盛り上がる。
昨今は野焼きが禁止されている地域がほとんどであり、特に都会では焚き火をする光景が全く見られなくなってしまった。
「垣根の垣根の曲がり角、焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き~♪」という唄は誰でも知っているだろうと思うが、その「落ち葉焚き」を体験した世代は、もうすでに結構な高齢であることに今さらながら気がついた。
(かくいう私も半世紀以上を生きてきているのだ。)
「昔話に花が咲く」というが、いつしか火の周りを陣取るのは団塊世代(もうちょっと若いか?)の火遊び好きなオジサンばかり。
というわけで、法律で禁止されているから、考えてみれば当たり前のことなのだが私にとっては驚くべきことに来場される方々が口々に、
「焚き火を見るのって初めて!」とか、
「焚き火で焼いたヤキイモ初めて食べる!」だの、
「焚き火を庭でできるって羨ましいわ~!」などなど、
感嘆の声を上げるのを聞いていて、フトこれは由々しきことであるな~と思ったのだ。
古代、ヒトは「火」を使うことで、サルから進化していったといわれる。
火で焼いた食べ物を咀嚼することが脳を刺激し、言葉が生まれ、文字ができ、文化が育まれた。
火を使うことによって作られた鉄器をはじめ、様々な道具が生み出されてきた。
そして、18世紀には蒸気機関が発明され、産業革命により現代の文明社会が築かれたのであろう。
だがしかし、今ヒトは(日本人だけか?)火を使うことを忘れようとしているのだ。
薪風呂、囲炉裏、火鉢は姿を消し、マッチで火を擦ることもなくなった。
焚き火を経験したことのない世代は、火の扱いを知らず、
かまどでご飯を炊く方法も分からず、炊飯ジャーや電子レンジのスイッチを押すことしかできない。
火や道具の使い方を知らない「ヒト」・・・、
果たしてそれは「ヒト」と呼べるのだろうか?
夕闇の中にゆらめく炎を眺めながら、そんなことを考えていた・・・。
「植木屋タケさんのぶろぐ」2015年11月29日投稿より
はやいもので、当ブログの連載も12回を重ねました。
このような機会を与えてくださった「うつくしき」編集部のみなさんに心よりお礼を申し上げます。
そして、拙い文章を最後まで読んでくださった読者の方々、本当にありがとうございます。
それでは、どうぞ良いお年をお迎えください。
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